それは・・・鬱ではないかもしれない。

人に会えなくなった、外に出られなくなった、
携帯電話の電源を切ってしまった。
そんな時期が私にも・・あった。

そのことをちょっと書いてみました。
こんな考え方もあるのか・・と思ってもらえたら嬉しいです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

つい数ヶ月前のことだ。午後1時過ぎ、私は打ち合わせのため電車に乗っていた。平日のこの時間は、中央線もかなり空いている。ぼんやり窓の外を眺めていたら、何人かの乗客が同じ方を見ている。視線の先を辿っていくと、一人の若いサラリーマンがいた。紺のスーツにアタッシュケース。30代になったばかりだろうか。一見、普通に見えるが、体はガタガタ震えている。視線は一点を見つめ、動かない。窓の外、流れている風景も彼の目には映っていないようだ。

周りに立っている人たちが、一歩引き二歩引きしている。同じだ、あの時の私と。私は、彼の背中を見つめたまま、動けない。本当は背中をさすりながら、言ってあげたかった。「大丈夫。ちょっと、トンネルに入ってるだけだから。今は、無理しないで・・・」

次の駅で、彼は逃げるように降りていった、紺色の背中が滲んでぼやけた。カラカラと乾いた音をたてて、あの頃の記憶の断片が私の目の前に散らばった。あれはいったいいつからだったんだろう?何がきっかけだったのだろう?

いつからかはもう思い出せないけれど、気づいたら夕方、電車のホームでめまいと吐き気で動けなくなっている私がいた。仕事に行けない。音楽が、歌う事が生きがいのはずの私が、その場所に行く事を体が拒否しているのだ。若いミュージシャンのプロデュースということで、昼間の空いた時間、歌やその他の指導をしていたのだが、それにも行けない。私にはかけがえの無い後輩達なのに、行かなくてはならない時間が近づくと、もう具合が悪くなってくる。今日は、イベントの打ち合わせなのに、また、ベットから起き上がれない。

そんな事の繰り返しをしているうちに、私はいくつも仕事を失った。このままじゃダメだ。なんとかしなくちゃ。焦れば焦るほど、外に出られなくなる。買い物すら行けない。携帯がなるたびに、恐怖になって電源を切ってしまう。もうだめだ。

仕事に出てこない私を心配して、ミュージシャン仲間が家に来てくれた。彼女は「それはきっと、ホルモンバランスが崩れてるのよ。」と言う。婦人科が良いかもしれない。でなければ、軽い鬱かもしれないから、メンタルクリニックに行くといい。そうだ、病院に行かなくちゃ。いい薬さえ飲めば、良くなるに違いない。ところが、病院に行くと決めた日が来ると、もう、辛くて辛くて外に出られなかった。

そんな時、後藤氏からの電話が入った。たまたま、出てしまったという感じだったが。今の状況を話し、早々に電話を切ろうとする私に「ミュージシャン時代に同じようなことがあったよ。それは、アーティストにとって、必要な時間だから、その時間を大切に過ごすといいと思うよ。」そう言った。全く予想してない言葉だった。私って、病気じゃないの?そう言う私に、彼は笑って答えた。

「もしかしたら、アストロロジーで言うとVoid っていう時期かもしれないよ。」

その言葉を聞いて、処方箋をもらいに行くように、私は後藤氏に会いに出かけた。

「どうしよう、私、仕事いっぱいなくしちゃった。でも、仕事をする気がないっていうよりも、どこにも行きたくないし誰とも会いたくないし、話もしたくないの。何もやる気が起こらない。そうやって止まっている自分がとってもイヤなんだけど、どうしようもないの。自分の価値も、自分のやりたい事も、何もかも見えなくなって・・・。」

「無くすべき仕事だったんじゃないの。きっと、今は自分がやるべき仕事じゃなかったかもしれない。とにかく、何もしないほうがいい。私もその時期、必死で仕事に行ってたけど、後はとにかく眠った。眠くて眠くて、起きてられないんだ。なんの気力もわかなくて。」

「そうそう、本当に寝ても寝ても眠いの。でも、やらなくちゃいけないことがあるような気がして、たくさん眠ってしまう自分にすごく焦ってしまって。」

「そう思っちゃダメ。今はね、自然に任せるんだ。私がやっていたことは、眠い時は寝る。睡眠の中で、人は自然に何かプロセスしていることがあるんだよ。そのプロセスのために必要だから、眠気がやってくるんだ。あとは、自然がいっぱいの公園を散歩したり、読書したり、絵を観に行ったり・・・。とにかく、自分の体の声を聞くんだ。社会の声じゃないよ。それと、社会的時間にあわせようとしないこと。自分が蛹(さなぎ)になったように思っていれば良いんだよ。」

「蛹?」

「昆虫を考えてごらん。たとえばカブトムシ。卵から孵って地面の中で過ごす幼虫時代。そして、全く形の変わったカブトムシとして生まれ変わるために蛹になるよね。今は、その時期が来たんだよ、きっと。」

「私は、また、普通に外を歩けるようになるの?」

「もちろん。それ以上に、今の蛹の時期を大切にしたら、すごいカブトムシになれるかもしれないさ。」

いろんなことを話しているうちに、私は自分が、犬や猫や魚や昆虫のように動物なんだという事を思い出した。今、私の体が何をしたいのか聞く・・・そんな事、したことがあっただろうか。こんな言葉も心に残った。

「今は、トンネルの中にいると思うといいよ。必ず、出口があるって思えるでしょ。感覚的には、母親の胎内にいるみたいな感じだね。その中で、ゆっくりゆっくり自分をプロセスするんだ。それも、頭で考えるんじゃない。体が自然にやってくれるから。」

そうか。私が病院に行くと行った時、後藤氏が止めたのはそういう理由だったんだ。薬はせっかくの自然な体のプロセスを、止めてしまうのかもしれない。また、病気だと思う事で、大切なプロセスをしないでしまうのかもしれないもの。

後日、私のホロスコープを持って後藤氏が会いに来てくれた。

Void の真っ最中だね。かなり深いかな。しばらくかかるよ。」そう言って、占星学上の説明をしてくれた。その時の私にとっては、その説明はちゃんと理解できなかったけれど、とにかく、私が次に進むための大切なステップだという事は解った。

自分に深く向きあっている人は特に、深いVoidの中に入るんだ。あとは、全く自分の行くべき道と全く違う所に行ってしまった人もね。この時期をちゃんと越えないと、また目をそらしたまま、自分のクセのような生き方を変えられなかったり、社会のルールにはまって余計に自分を見失ってしまうんだ。」

「私は・・・こんな何もできない状態の私が、変われるのかな。また、歌おうとか、曲を作ろうとか、そんな気持ちになれるのかな。」

最後の言葉は、自分で飲み込んだ。なるほどと思いつつも、全く自信がなかったから。でも、とにかく言われた通りに、体の声を聞ける自分になろう。慌てずに、羊水の中で浮かんでいればいいんだ。

そう、本当に羊水の中に浮かんでいるような感覚の日々だった。周りから隔離されたその中で、私は泣いたり笑ったりぼんやりしたり・・・。するとちょっとだけ、体の声が聞こえてきた。今は眠いですよ。お腹が空きましたよ。ちょっと泣いてみたいですよ。木が風に吹かれている音を聞きたいですよ。雨音はちょっとリズム音痴ですよ。・・・少しづつ少しづつ、心が外に向いてきた。誰にも会いたくなかったけれど、本が読みたくなった。本屋に行くと、私は自然と手が出るものを買った。すると、まさに今読みたかったという本に出会えた。もしかしたら、これも体の声かもしれないと思った。

また同じ時期、音楽が全く聞けなくなっていた私がやっとCDを聞きたくなった。なんとなく手にした物が、これまではほとんど聞いたことがないジャンル、というよりも嫌いだった種類の音楽だった。アンビエントやハードトランスや、テクノなど。いわゆる、癒し系では決してなかった。一番好きだったのは、『bio rhythm 2』というアルバム。コンピレーションアルバムだったようだが、レコードなら擦り切れていたのではないかというくらい聞いた。心臓の鼓動を思わせるようなテンポが私を穏やかにしてくれたのか、ずっと一定に流れるリズムの上に感情的に流れるメロディーが私を自由にさせてくれたのか、いまだに解らない。

それから、一番大切な食事が思うように進まなかった時、野菜スープに助けられた。キャベツや人参・玉ねぎ・じゃがいも・きのこ類など、なるべくたくさんの野菜を入れて水で煮るだけ。スープの素も味噌も入れなかったが、野菜の味がスープに出ていて、美味しかった。作りながら、同じようなものを作った事があるのを思い出した。それはなんと、離乳食だった。保健所などでやっていた、母親学級で習ったものだ。添加物を使わず、野菜をたっぷり入れる。「味付けは何もいらないんですか?」という、一人のお母さんの質問に、指導員の方は「赤ちゃんは本当に美味しいもの、体にいいものを知っているんですよ。」と言っていた。なぜか、その時の私にはとても美味しくて、少しづつ食欲が出てくるきっかけになったのだ。

生活のいろいろな事を、少しづつ変えていった。体の声の通りに。

少し落ち着いてきた頃に、もう一度、後藤氏の言葉を思い出した。『自分に深く向きあっている人や、全く自分の行くべき道と全く違う所に行ってしまった人が、深くVoidに入る。』アーティストの自分を考えれば、自分と深く向きあっているのは、もともとやってきた事だ。それよりも、全く違うところに行ってしまった人というのにも、私は当てはまっていると気づいた。後藤氏が、振り子を例に話してくれたことが思い出された。

「振り子を少しだけ反対の方に持ち上げると、戻るのには少しの時間と角度でいい。でも、90度以上・・つまり180度逆の方に振り子を持ち上げた時、それはものすごい力で戻る事になる。それほど、自分の本来の姿に戻るのには、大変なパワーが必要で、時間もかかるということなんだ。」

確かに、子育てに終われ、主婦の生活にはまって自分を見失っていた時期は、180度本来の自分と違っていたような気がする。そこを抜け出すのには、本当に大変な労力と傷を伴った。以前、教えてもらったように柔軟宮の私は、そのような状況に合わせてしまう。それも、必要以上に上手に。だから、よけいに自分が見えなくなってしまっていた。それが、もはや普通に生活ができないという状況になった。体調も精神状態もひどくなった。自己コントロールができなくなったと思って、自分が恐くなった。しかし、それが体の声だったのかもしれない。このまま、この状況に浸っていてはいけないという。

私は、あの頃から既にVoid が始まっていたのかもしれない。振り子を正常な位置に戻す事で、1枚の余計なコートを脱いだ。そして、音楽生活はしていても、音楽関連のいろいろな事に手をつけてしまう生き方のクセが二枚目のコートだった気がする。それを脱いだのが、仕事に行けなくなった時期のような気がしてきた。まさに、脱皮だ。そして、脱皮をするための蛹の時があったのだ。それも、2回に分けて。

ちょうどその頃に、ネットで知り合いになった男性は、エリートコースを進み、銀行マンになり出世コースをまっしぐら行っていた。が、メニエール病になり会社に行けなくなったそうだ。会社も結婚生活も捨てて、その人は故郷に帰った。もともと、ピアノを弾いていた方で、たくさんの曲をウエブ上で発表している。それが本来の彼自身だったのではないかと思う。なのに、彼はとても器用にエリートコースを進んできてしまったのだ。180度違った生活から戻るのに、体にも心にも大きな傷を負ったに違いない。たぶん、いまだに癒えていないような気がする。

また、大学時代の同級生から電話があり「私もうダメ。外に出られないし、誰にも会いたくないの。」と言うのだ。それって、私が数ヶ月前に言った事と全く同じよと伝えると、彼女は声を殺して泣き始めた。「どうしたらいいの?私、どうしたらいいの?」

まだ、蛹の殻から半分しか出ていない私は、ゆっくりと後藤氏の言葉を思い出しながら、彼女にアドバイスをした。

そんな話をすると、まさにリンクだねと後藤氏が言った。

Voidの人はVoidの人をひきつけるんだよ。」

確かに、ネットで知り合った男性は、音楽のリンクをたどって偶然私のページに訪れた。また、学生時代の友人も、何年ぶりかで電話をしてきた。磁石に吸い付けられるように。そして、私はVoidを経験した後藤氏と出会った。

1年以上かかって、ようやくトンネルの外の光が見え出したような感じだった。

「やっと半分、Voidから出たって感じかな。」と、私のホロスコープを見ながら後藤氏は言ったが、私としては生まれ変わったような気持ちだった。見るもの全てが違って見えるし、感じ方が変わった。それと、過去の自分を違った観点で捉えられる。そう言うと、

「最初Voidの説明をした時言ったように、これが二度生まれっていうんだよ。Voidがその始まりのサインなんだ。Voidの中で行ったり来たりしつつその中で自分をはらみ新しい自分を産み落とすんだよ」

私が私をはらみ、そして産み落とす。感動的な言葉だ。――しかしまだ、私は自分を産み落としてはいない気がしたが、ふと私が子供を出産した時のことを思い出した。

“胎教”という言葉が、どんなマタニティ雑誌にも必ず載っていた。お腹に赤ちゃんがいる時の母親の状況が、そのまま生まれてくる子供に影響すると。母親が、不安な状況でイライラしたり感情的になったりすると、そんな子供が生まれてくるとか、ゆったりした気持ちでいたら穏やかな子供が生まれるとか。クラシックならばモーツアルトを聞かせるといいとか、英語の教育はお腹にいる時からとか――と、まぁ、いろいろあった。

栄養も同じだ。母親の食べ物が偏っていれば、どうしても栄養失調の子供が生まれてくる。私も、産婦人科で鉄分不足と診断され、鉄分のサプリを処方してもらったり、ひじきや小松菜など一生懸命食べた。

日々、穏やかに過そうとしていた。音楽を聴いたり、本を読んだり。それにしても、毎日毎日眠かった。他の動物も、お腹に子供がいるとよく眠るらしいけれど、私とて同じ事。寝ても寝ても眠かった。

そう考えると、本当にVideの時期の自分と、たくさんの共通点がある。自分をはらむ時期と、私の妊娠していた時期は似ていると思った。十月十日(とつきとうか)を経て、赤ちゃんが生まれてくる、あの感動。いったい、私はいつ感動できるのだろう。しかし、準備は整ってきているという事が、体でも頭でも少し解った気がしていた。